ちょうど境内に植えてくださっている蓮が咲き始めた時、仏婦例会の『声に出して読みたい親鸞』では、「蓮華蔵世界に至ることを得れば すなわち真如仏性の身を証せしむと 煩悩の林に遊んで神通を現じ 生死の園に入りて応化を示すといえり」の「正信偈」のことばでした。
泥の中に育ちながら、泥にそまらずきれいな華を咲かせる蓮華のように、苦難の人生を送りながら、後の人を導くことのできる仏さまに成らせていただけることを学びました。 そして、自分だけが安楽なお浄土に往くのでなく、迷いの世界(生死の園)にさまざまな形や働きとなってゆくのが、仏さまに成る、成らせてもらうということであることをあらためて味わいました。
また「遊ぶ」というのは、義理や義務ではなく、自らのよろこびの自由で生き生きとした活動であり、仏教では「遊履」(ゆり)・「遊戯」(ゆげ)・「遊行」(ゆぎょう)などの言葉があり、仏教では遊びとは不真面目ていいかげんな活動ではないことを学びました。