品秀寺の西側境内地、鐘楼(鐘つき堂)・経蔵、親鸞聖人像がある土地が品秀寺の境内地となった由来を記した十一世住職大誓の書簡(明治二十九年の日付)が見つかり、額装して永代経法座にお参りされたみなさまにご覧いただきました。
左の書面は、品秀寺の境内地とすることを役所に届け出た書面です。
当時は、田でありその後竹やぶとなっておりましたが、仏教壮年会によって年末の清掃奉仕で伐採整備されていました。平成の本堂大修復の際、鐘楼や経蔵が移築され、広く境内地として活用されるようになりました。 品秀寺の歴史の一端を証するものです。