自然豊かな土地に開かれた品秀寺は、 迷い多き現代を生きる皆様にとってみ仏さまの一筋の光明のようにあなたを優しく包みます。 毎日の喧騒をはなれ自らのこころに問いかける時間をつくりませんか。
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遣唐使として中国より帰られた弘法大師空海は、 806年(大同元年)安芸地方を巡錫(じゅんしゃく)厳島の弥山・可部の福王寺とこの地に蓮華寺を開基されました。 蓮華寺の塔頭(たっちゅう)の一つ「谷ノ坊」が、品秀寺の前身です。 その後慶長年間、蓮華寺は廃寺となりますが、 慶長7年山県郡戸渓村松尾出身の僧西雲大和尚が西本願寺八代蓮如聖人直筆の『六字名号』を携え、 谷ノ坊を浄土真宗「谷ノ坊慈雲院品秀寺」として再興されました。 三十二世住職大運は、安芸の学僧〝芸轍(げいてつ)〟の一人で、「畑賀社」を開き、 たくさんの門弟を育成し、五社分流の一学派を成していました。 大運往生後の1822(文政五年)年に現在の総欅造りの本堂が再建され 「畑賀のお寺は、よいお寺、よいお寺、田舎におくには、やれ惜しや」と地元で歌われたほど、 山門・鐘楼とともに立派な伽藍です。 蓮華寺からは、1200年を超える歴史があります。 品秀寺から蓮華寺跡の山道は〝弘法大師の歩まれた道〟として、2006年に畑賀町内会によって整備されました。