品秀寺について

本堂

 ご本尊を安置する、寺院の中心である建物。 文政五年(1822)に、山門・鐘楼と共に再建され、江戸期の建築様式による建物です。 ご本尊をご安置している内陣(ないじん)だけでなく外陣(げじん)、 そして浜縁にいたるまで支輪で支えられた折上天井となっています。 天井を支える柱上の斗栱(ときょう)は三段になっていて、 随所に当時の大工さんの技量とたいへんな手間がかけられた建物であることが見受けられる立派な本堂です。 築200年となる本堂の老朽化と耐震対策として取り組まれた平成の本堂大修復により、 檜材(樹齢200年以上)による大きな梁が加えられ、荘厳さと重厚さが増した本堂となりました。 また、内陣荘厳も一新され、内陣天井には、牡丹の絵が、左右余間の天井には、 八葉蓮華の絵が天竺風・和風で描かれています。

ご本尊:阿弥陀如来

 ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。

親鸞聖人(しんらんしょうにん)

 ご本尊に向かって右側は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご絵像が御厨子の中に安置されています。 お姿を立体的に見せる御影鏡板(ごえいかがみいた)によって、座っておられる姿が浮き上がって見えます。

蓮如上人(れんにょしょうにん)

 ご本尊に向かって左側は、本願寺八代門主、中興の祖蓮如上人のご絵像が安置されています。 蓮如上人のお手紙がつづられたものを「御文章」として拝読します。 直筆の六字名号が寺宝として伝わっております。

右余間

 ご本尊に向かって左側を、「右余間」(ご本尊の右手側)といいます。 通常は、七高僧のお軸をかけ、御正忌(ごしょうき:親鸞聖人のご命日)には、 親鸞聖人のご一生が描かれた『親鸞聖人御絵伝(四幅)』を掲げます。

左余間

 ご本尊に向かって右側を「左余間」(ご本尊の左手側)といいます。 通常は、和国の教主(日本のお釈迦さま)である聖徳太子のご絵像をかけております。

 以上が、本堂の「内陣(ないじん)」です。 平成の本堂大修復の仕上げとして、内陣修復が行われ、漆・金箔・彩色を施工、 天井絵・壁画・襖絵が一人の絵師によって描かれました。 明るく輝く内陣は、まさにお浄土を表現するにふさわしいものとなりました。

山門

 寺院の正門を山門といいます。 本堂再建に合わせて、建立されたものです。 文政五年の本堂再建の為、多くの木材が集められていましたが、 当時、その材を使って饒津神社(東区二葉の里)の修復を命じられます。 やむなく、それに従いましたが、その任の功績として、建立する山門の両側に袖を付けることを許されたと伝えられています。 この様式は、近郊ではあまり見ることができません。 平成7年(1995)に庫裏再建と共に大幅修復工事を施工。 屋根瓦は、鐘楼・経蔵・庫裏と共に大和瓦です。

庫裏

 接待所(客間)・寺務所(事務所)・台所・講師部屋・住職家族の居住などの役割を果たす建物です。 平成6年(1994)に再建された木造で、檜造りの本玄関と本堂との間に「願船の庭」と池を有し、 蓮華寺山を借景とし、築山には「庭木の王」といわれる木斛(もっこく)の樹が多く植えられ、 美しい景観が広がっています。

鐘楼(しょうろう)

 鐘つき堂のことです。本堂再建に合わせて、本堂に向かって左側に建立されました。 それ以前に鐘楼があったがどうかは不明ですが、建物の基礎となる自然石を使った石組は、 現在の鐘楼に合わせて造られています。  平成16年(2004)に屋根瓦を葺き替え、平成の本堂大修復の時の境内地拡幅に伴い、西境内地に移築されました。 梵鐘(ぼんしょう)は、大戦の時供出され、昭和32年(1957)に新しく梵鐘が迎えられました。 夏季は夕刻5時。冬季は6時に衝きます。除夜の鐘は、お参りされたみなさんが毎年衝かれます。 ご法座のある時は、一時間前に衝かれます。

講堂

 平成の本堂大修復の中で創建され、「仮本堂」の役割を果たし、工事終了後は「講堂」となりました。 「京都和風建築事務所」の設計により、鉄筋構造ながら木造と見まがうものです。 品秀寺の雰囲気とマッチしながらも堅牢な建物です。 仏教講座・仏婦例会・コーラス・土曜学校・和太鼓教室・手作りの会・法要斎場など、 さまざまな教化活動に活用されています。

経蔵

 大切なお経を納めておく蔵です。 火災防止の為土蔵造りとなっています。 昭和初期に創建されたもので、鐘楼と同じく西境内地の一番奥へ移築され、 美しい白壁が品秀寺の外からも見えるようになりました。

親鸞聖人像

 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の立像。 親鸞聖人伝絵にも描かれている大衆に向かって仏法を伝えられる力強い姿となっています。 旅姿の網笠をかぶられた姿のものが多くありますが、お顔がはっきり見ることができます。 また、お寺の中ではなく、畑賀の町を行き交う人々から見えるようにと、 西側境内地の一段高い所に平成16年(2004)に建立されました。

品秀寺廟所

 歴代住職・寺族の墓所内に、納骨碑を建立。 墓地の管理に不安や、無縁墓になるなどの事情のある方のお骨を永代にご安置いたします。 個別にお預かりするもではなく、合祀となりますので、納骨されたお骨はお返しすることはできません。 浄土真宗以外の方でもお受けいたします。生前に手続きをお願いします。

品秀寺墓地

 1982(昭和57)年に、品秀寺東山に墓地が造営されました。その後第2墓地も 整備されて、263区画の墓地となりました。駐車場・水道も完備しております。 詳しいことは、直接お尋ねください。

品秀寺の活動


【品秀寺総代会】

畑賀の各地区の代表として、品秀寺の護持・運営について審議されるのが総代さんです。 それぞれ豊富な経験と地域社会でもさまざまな活動に勤しんでおられる方々です。 末田紘総代長のもと、安芸教区・安芸北組の研修会に参加され、門信徒の先頭にたって活躍されています。

【品秀寺仏教壮年会】

昭和40年に発足。 ご法座の夜席を定例会として、お聴聞に励まれました。 地域に対しても、畑賀町内に掲示板を掲げ、み教えのことばを伝える掲示伝道が始まりました。 年末のお寺の清掃奉仕活動を続け、今回の修復事業で境内地を広く活用することの基となりました。 ここ数年は、例会も途絶え、だんだん会員さんが少なくなっていましたが、 ちょうど親鸞聖人750大遠忌を迎えるにあたり、会員の募集に取り組むこととなり、 75人を目標とされましたが、80人を超える会員となり、 土井長勉会長を中心に会の活性化をめざしておられます。 皆さまのご加入をお待ちしております。

【品秀寺仏教婦人会】

毎月の勉強会、花まつり法座の開催、「品秀寺だより」の配布、お斎(おとき)のお世話、 仏具のおみがき、子どもまつりのお手伝い、地域の福祉施設の奉仕活動などなど、 品秀寺の活動に欠かすことのできない存在です。 法の朋としての集いは、いつもとても和やかです。

【ヴィサーヤ】

若い世代に、気軽にお寺に来てもらえるようにとの目的の元、平成6年に結成したコーラスのグループです。 男性も加わり、混声合唱として年に一度の「仏教讃歌を歌う会演奏会」に参加。 手作りの人形劇にも取り組み、ひかり幼稚園での公演も恒例です。 初参式、ともしびの集いなど、お寺での法座や行事などでも活躍しています。

【土曜学校】

毎月第4土曜日の午後1時30分から3時。 手を合わせる子どもを育てようとはじめました。 お勤め(お経を読む)の後は、広いお寺でゲームをしたり、おもちゃを作って遊んだりしています。 季節の行事として、花まつり、お月見、どんぐりひろい、お餅つき、おおそうじなどなど、 お寺での楽しい思い出を、たくさん残して欲しいと思っています。

【鼓天童子】

第4土曜日に開いている土曜学校ですが、高学年になると子ども達も習い事など忙しくなり、 参加人数が少なくなっていました。 お寺とご縁が続くように、何かできることはないだろうか・・・ と始めたのが和太鼓の練習です。毎月2回の練習と、地域のおまつりなどで演奏させていただき、 地元の皆さんが喜んで下さることが、何より嬉しく励みとなっています。

【品秀寺だより】

品秀寺の話題満載。 行事の紹介・本堂修復工事・仏事の質問・仏教語の解説・今月のことば。 4ページカラー印刷です。畑賀地区の方には、仏教婦人会の方が配布いたします。 畑賀地区外の方には、郵送いたします。 ご希望の方は、ご連絡ください。